ファービーをくもん(塾)に連れてった話(2匹)

こんにちは。hanaです🐥

 

ファービー」って知っていますか?

 

日本では1999年に発売された、

おしゃべりする鳥っぽい人形のオモチャのことなのですが、

 

今回は私が小学2年生のときにファービーをくもんに連れてった話をします。

 

 

 

ファービーとの出会い

 

ファービーとの出会いは突然でした。

 

親が私と妹のために、発売されたばかりのファービーを徹夜で並んで買ってきてくれたのです。

 

・まっしろで青い瞳のファービー

・おなかが白くてブラウンがベースのまだら模様でヘーゼルカラーの瞳のファービー

 

2種類のファービーのうち、

 

親は最初に私に選ばせてくれたので

 

まっしろで青い瞳のファービーを選びました。

 

最初はすこし目がリアルで怖かったけど、意味不明なことを愉快に喋るファービーにすぐ夢中になりました。

 

 

 

 

ファービー、襲来する

 

当時私は公文式という塾(当時くもんと呼んでいた)にお友達のキエちゃんと通っていました。

 

くもんの日、私はキエちゃんにファービーを見せびらかしたくて、親に内緒でファービーを連れ出しました。

キエちゃんの分がないとかわいそうなので、妹のファービーも勝手に連れ出しました。

 

キエちゃんにファービーを触らせてあげて少し遊んだあと、くもんにいる人たちにも見せびらかそうと思って自転車のカゴにタオルを敷いてファービーの席を作り、その上にファービーを座らせました。

 

ファービーが段差を乗り越えるたびに浮くので、飛び出さないよう片手でガードしながら走ります。

 

ファービーは振動によって喋るので、

 

「オォ〜〜〜〜〜ウ」

「ウィーーーーー♫」

 

ガタガタ揺れる自転車のカゴの中で一生喋っていました。

 

しかし、割と大きめな段差を乗り越えたときのことです。

 

ヴィーーーーーーーーーーー!!!!!

 

突然ファービー達から無機質な機械音が発せられました。

しかも結構でかめの音で鳴り続けます。

 

壊れたファービー達「ヴィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!

 

私は焦ってすぐ自転車を止めてファービー達の様子を伺いますが、目を開けたり閉じたり、クチバシに指を突っ込んだり、逆さにしたり、叩いたり振ったりしても音は止まらず、、、

 

とうとう怖くなってタオルでグルグル巻きにしてなるべく音が聞こえないようにして封印しました。

 

ドキドキしながらくもんまで辿り着きました。

 

カゴに壊れたファービー達を置いていくわけにはいかないので、一緒にくもんに乗り込みました。

 

グルグル巻きにされた壊れたファービー

「ゥィーーーーーーーー」(こもった音)

 

先生たちはとてもびっくりしていました。

 

「何?!何連れてきたのっ?!」

 

ファービー達を見せると、

 

 

壊れたファービー達「ヴィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!

 

 

先生「うるさっ」

 

先生は片手で耳を塞ぎながらファービーを調べ、ファービーの底の部分をドライバーで開けました。

 

電池を抜くと、ファービーはピタッと静かになりました。

 

また電池を入れたらキュルキュルと初期動作に入り、目をパチクリして

 

「ファ〜〜」

 

 

それからまた喋り出したので私はとても安心しましたが、やかましいので先生はまた電池を抜きました。

帰りにファービー達を返してもらい、帰り道は自転車を置いてファービー達と無事におうちに帰りました。

 

 

*振り返ってみて

 

当時は

 

え?なんで持ってきちゃいけないの?

 

という気持ちでしたが、先生に怒られて反省しました。

 

余談ですが、私はくもんの宿題に飽きると、名前を変な書き方で書くっていう遊びをしていました。

漢字とひらがなとカタカナで交互に書いたときは、ちゃんと書きましょう と注意されましたが、私だけでしょうか、、😂

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました☺️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ツンツン攻撃家庭教師

 

こんにちは。hanaです🐥

 

 

今回は中学生のときに勉強を教えに来てくださっていた、なにかとボールペンで横っ腹をツンツンしてくる家庭教師のお話をしたいと思います。

 

 

*家庭教師を雇う

 

 

この方は頭のいい大学に通っている大学生で、

当時中学生の頭の悪い私に母が高い月謝を払って家庭教師を雇ってくれました。

 

家庭教師の時間は部屋でふたりきりで授業をします。

 

約3年間、週に1回ずつ通っていただいたのでそれなりに頻繁に会っていました。

 

 

*性的な興味

 

 

 

「自分は性体験をしたことがないので、そういうことに興味がある」

「そういうことを友達同士で話したりするの?」

 

いわゆる下ネタをコソコソ聞いてきたり、

いつからか問題を間違えると横っ腹をボールペンでツンツンされるようになりました。

 

最終的にはボールペンではなく指で急にグッと押されて、反射的にビクッとなっていました。

 

お腹に触られるし痛いので、私はそれがすごく嫌だったのですが、宿題をちゃんとしなかったり、答えを頻繁に間違えるので、なにも言えませんでした。

 

 

 

 

*キスしてくれたら許す事件

 

 

中学3年生のときに先生をものすごく怒らせたことがあって、

「もう許さない。君の親御さんにも僕は辞めると言う。

僕は困らないよ。

君はこの時期からまた新しく塾でもなんでも探さなきゃいけなくなるけど、困るのは君。」

 

私がなにも言えないでいると、しばらく経ってから考えが変わったのか

 

「君が僕にキスしてくれるなら許すって言ったらどうする?」

 

と言われました。

 

私はツンツン攻撃や、普段の言動からだんだん先生に不信感が募り、この頃には嫌いだったので

 

答えは絶対したくない。一択でした。

 

今思えばセクハラ案件だと思いますが、頭が悪かったので、先生に辞められたら親に迷惑がかかる。どうしよう。という思考しかなかったです。

 

前にもなにかやらかして怒られたときは、

反省として手作りの料理を披露する。

という条件で許してくれましたが、

 

今回は料理じゃ満足できない。

 

と言って言われたのが、キスをする。でした。

 

私が嫌がったので、「じゃあハグでいいよ」とハグに変更してきましたが、近寄るのも嫌だったので、全力で拒否。

 

悔しくて涙が出てしまい、その涙を見てなにか勘違いしたのか、涙を拭おうと手を出してきたので、椅子から立ち上がり拒否。

 

勉強時間いっぱいに使った長い長い戦いでしたが、

やがて先生が頭をポンポンしながら

 

「今日のところは君を許すよ」

 

と言い放ち、終幕しました。

 

私は怒られると黙ってしまうので、ほぼ先生しか喋っていませんが、喋り方は本当にこんな感じです。

 

君、僕、親御さん。

 

 

 

 

*先生の特徴

 

 

先生はいわゆる THE オタクで、話し出すと早口になって変な笑い方をする陰キャって感じでした。

 

・メガネ

・ファー付きフードの付いたカーキのモッズコート

・中央に四角で囲って絵が書いてあるタイプのロンT

・迷彩柄のポケットが大量に付いているパンツ

・ブルガリだか匂いが強い香水

クロムハーツの指輪やクロスのネックレス

 

といった特徴の、おしゃれに気を配るタイプのオタクです。

 

私も人のことはとやかく言えませんが、大抵こんな感じでした。

 

 

 

 

*家庭教師からの解放

 

 

受験に合格したとき、電話報告して契約終了となりました。

 

そのあと電話で告白されましたが、お断りしました。

 

「僕は今まで振ったことはあっても、振られたことはない」

 

名言をおっしゃってました。

 

その何日か後、

 

「高校で使える参考書を渡す代わりにデートして欲しい」

 

「参考書を渡すついでにうちに来てくれれば、これからも勉強を教える」

 

もともと受験中に渡す約束をしていたのに、

 

「参考書を買った代金のことを考えると安くはないし、君に渡すのを惜しくなった」

 

と言っていました。

 

受験前に合格したら制服姿を見せる約束でしたが、性的な目で見られるのが気持ち悪くてしょうがなかったので、一切の連絡を無視しました。

 

手作りご飯のこともなにも言われなかったので、作ってないです。

 

 

先生と最後に会ったのは、先生のための食事会なるものを母が企画したときです。

 

受験が終わって1週間経つか経たないかのある日、ちょっとお高めなレストランにて久々に先生に会いました。

 

(受験中はほとんど毎日家に来てもらっていました)

 

食事中は親と会話するので、私は話した記憶がありませんが、態度の悪い私に親が見兼ねて促される形でお礼を言ったと思います。

 

 

食事代を出したのに、母がお気持ちのお金を渡していて、先生にこんな料理はもったいない。お金も渡すなんて信じられない!

 

と当時は思いましたが、志望校に落ちて、2次募集の私立に合格するまで面倒を見てもらって、人の時間を奪っておいてあんまりな態度だと思います、、

 

 

 

だいぶ年月が過ぎて1度だけ横断歩道ですれ違いましたが、向こうは気づかなかったです。

 

 

 

 

*家庭教師を雇ってみて

 

 

私は思考するのがゆっくりなので、塾みたいに多対一だと付いて行けなかったと思います。

 

なので家庭教師という手段は私に合っていましたが、こんなにも嫌うことになるとは思っていませんでした。

 

先生の前にもうひとり別の家庭教師をお試ししたのですが、テキストだけ買わせる詐欺師の方だったようで、その後にきた先生は母の信頼を勝ち取りました。

 

先生いわく、先生の所属していたところもズサンな管理体制だったらしいのですが、自分で計算して正当な額で報酬を頂いていると言っていました。

 

 

 

 

*問題の多い生徒

 

 

先生のことばかり責めていますが、

私も問題の多い生徒でした。

 

 

 

宿題をしなかったり、

居留守を使ったり(1回寝たふりをして家に帰した)、 プリントをなくしたり、

プリントを捨てたり、

家出をした日が家庭教師の日と被って迷惑をかけたため、親に土下座させられる生徒を見せられたり、、

 

ご迷惑もいろいろおかけしました。

 

 

 

*先生の努力

 

 

大学に通いながら作ってくれた自作のプリントはいつも難しかったけど、

当時の先生と同じ年齢になったとしてもそんなことできないですし、

わざわざ参考書を選んで買ってきてくれたり、

話していて楽しいこともあったかと思います。

 

 

 

受験期間中、夜中まで勉強に付き合ってくれて

 

(その頃には先生の私に対する下心を利用して、だいぶマウント取れるようになって、嫌なことははっきりと言っていました。)

 

2次募集の私立に受かったのは先生のおかげです。

 

 

*親から見た家庭教師

 

 

親から見た先生は真面目で誠実な良い先生だったと思います。

 

頭が良くて口が上手いですし、母は気に入っていました。

 

先生に対してあまりにも酷い態度を取るため、

「恩を仇で返すな」

と怒られましたが、

親の言うことも無視して

先生とは音信不通になりました。

 

 

 

*まとめ

 

ツンツン攻撃は私にとってトラウマとなりましたが、私の拒否出来ない態度を見て付け上がってしまったのかな、と思います。

 

今では考えられませんが。

 

ご迷惑も散々お掛けしましたが、お互い様だなんて思ってないです。

22歳の大人に分類される人間が、未成年の、判断能力のない中学生に対してしていいことではないと、今でも思っています。

 

しかし、今までありがとうございました。

 

きっと良い人生を歩んでいると勝手に思っております。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました😌🙏✨

 

 

 

 

 

 

笑ってもらえると思って書いた話に泣かれそうになった話

 

専門学生時代のとある授業で、

 

自分の死生観について

 

というテーマで宿題に出されました。

 

(※死生観はざっくりいうと

死と生に対する見方、考え方をいうようです。)

 

そのテーマを授業中に発表することになったのですが、

 

クラスメイトにあとから

 

「あなたの話を聞いて泣きそうになっちゃったよ」

 

と言われたことが印象深かったので

 

当時の記憶を思い出しながら

 

書き起こしていきます。

 

 

*レポート内容

 

 

 

 

私が初めて人の死を経験したのは、

 

おおおじいちゃんのお葬式でした。

(いわゆる、ひいおじいちゃんのことですがうちではそう呼んでいました)

 

私はおおおじいちゃんが嫌いでした。

 

なぜなら、おおおじいちゃんに会いに行くと必ず親に、

 

「きらきら星のお歌」を歌わされるからです。

 

頻繁に会ったりはしていなかったと思いますが、

 

「おおおじいちゃんに会うとお歌を歌わなきゃいけない」

 

という悪いイメージが付いていました。

 

これが子供心にすごく嫌で、

 

「はい!せーの!」と親に命令されて、

 

歌いたくもない歌を歌うのが苦痛でした。

 

ある日、朝からとてもおめかしをされ、

 

母は真顔で、余裕がないような、

 

少し急いでいるようでした。

 

「どこに行くの?」

 

と聞くと

 

「おおおじいちゃんのところ」

 

と母が言うので

 

「えぇ〜、、おおおじいちゃん嫌だぁ、、」

 

と私が嫌がると

 

「おおおじいちゃん、死んじゃったの」

 

と言われました。

 

会場では、黒い服の大人がたくさんいました。

 

数珠がとても珍しく、気に入って触ったりしていました。

 

母の真似をして御焼香もしました。

 

おおおじいちゃんだと思われる冷たくて白い顔を触りました。

 

生前の顔もうろ覚えだったので、

 

痩せこけて目を閉じている目の前のご遺体が

 

おおおじいちゃんだという認識があまりありませんでした。

 

「おおおじいちゃんだよ。」と言われてやっと

 

ああ、そうなんだ。

 

という感じでした。

 

お花を置いて、棺桶を完全に締めたあと

 

衝撃的なことが起こりました。

 

母が顔をしわくちゃにして泣き出したのです。

 

今まで泣いたところを一度も見たことがなかった母が、

 

老婆のように顔を歪ませ声をあげて泣くなんて思いもしなかったので、

 

おかしくて思わず笑いました。

 

妹を笑わせようと「ママ変な顔してるよ」

 

と茶化しても、母に笑いかけても

 

誰も笑い返してはくれませんでした。

 

 

 

 

 

*笑い話だと思ったのに

 

 

中途半端ですが、このあとなんやかんやまとめてたと思います。(忘れました)

 

私的お笑いポイントは

 

・きらきら星のおうたを歌わされる

・母の顔が猿のよう

 

といったものでした。

 

今思うとまったく面白くはないのですが

 

発表することになったときは

 

とても自信を持って発表しました。

 

そしたらなぜか、誰も笑いませんでした。

 

それどころか、先生は感慨深いような顔をして

 

クラスメイトには泣きそうになったと言われ

 

私は疑問に思いながらも、ある意味発表できてよかったな。

 

と当時は思っていました。

 

 

 

 

*今思うこと

 

 

今この文章を書いていて、

 

5〜6歳の頃経験したことなのに、

 

20歳になってもそのときのまま変わっていなかったのか。

 

と驚きました。

 

物の見方、感じ方が5歳児のままで止まってしまっているのだな。

 

と考えるとショックですが

 

そう感じられるようになったということは

 

少しは成長している。

 

ということにします。笑

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

抑うつ・躁うつを繰り返す人生

 

はじめまして。

 

hanaです🐥

 

私は「抑うつ」と「躁うつ」を繰り返す、

 

双極性障害

 

を自称しています。

 

 

 

*なぜ自称しているのか

 

 

過去に精神病院にかかったことがあるのですが、

 

あまり患者さんの話を聞くところではなく、

 

チェック項目に基づいて

 

「あなたは抑うつですね。お薬出しときますね。」

 

と、お薬を処方するだけといった形でした。

 

今はもうその病院も潰れてしまったようですが、

 

自分の状態を本で調べて

 

当てはまったのが、

 

双極性障害

 

という名前の病名でした。

 

なので、自称しています。

 

 

 

 

 

*どのような状態なのか

 

 

 

 

私の場合、

 

抑うつのときはひどく頭が重くなり、

 

モヤがかかったようになります。

 

パソコンに例えると、

 

容量が重たいときのイメージで

 

なかなか言葉が出てこなかったり、

 

思考することが困難になり、

 

いちばん困るのが

 

「今どういう気持ち?」

「あなたの意見は?」

 

と自分の考えを相手に伝えることです。

 

あたまに真っ白な霧がかかっている状態なので、

 

答えは

 

「何も考えてません」

 

もしくは

 

「質問に答えなきゃ。どうしよう」

 

です。

 

 

今まで出来ていた会話が

 

バグったかのように難しくなり、

 

このような自分が

 

とても、とても情けなくて

 

とても、とても恥ずかしいので

 

親しい友人と距離を置いてしまいます。

 

また、動くことも億劫になり

 

部屋はどんどん汚くなります。

 

引きこもって暴飲暴食を繰り返し

 

かつ高カロリーなものを好むので

 

太り、肌は荒れ、爪を噛み

 

そんな自分の容姿に落ち込み

 

お風呂にも入らなくなり、

 

ますます家から出ない生活になります。

 

 

逆に躁うつのときは

 

外に出たくて出たくてしょうがなくなります。

 

常にガソリン満タンで、

 

友達と毎週遊んだり、

 

仕事のあとに予定を入れたり、

 

スケジュール帳を真っ黒にするほどでないと満足できません。

 

生まれ変わった気分で気持ちが大きくなり、

 

常にテンションが高く、

 

(抑うつのときはずっとローテンション)

 

感情の起伏がとても激しくなります。

 

抑うつのときあまり話さない反動からか、

 

言葉が湯水のごとく溢れてきます。

 

まとまりがないことを一生喋っています。

 

思いついたら即行動し、

 

フットワークが軽く、

 

美容や遊びで散財します。

 

 

また、家族やある一定のひとに対して

 

過剰に攻撃します。

 

口が悪くなり、

 

いい加減で適当な態度を取ったりします。

(大抵疲れてることを自覚していないとき)

 

熱しやすく冷めやすい性格になり、

 

物事を切り捨てるときの冷酷さもひどいです。

 

寝る間も惜しまず行動するので、

 

活動限界ギリギリまで行動し

 

ヘロヘロになって眠る。

 

を毎日繰り返します。

 

 

 

 

医学的にはこんな感じだそうです↓

https://www.cocoro-h.jp/untreated/overview/type.html

 

 

 

 

*周期は?

 

 

そのときの状況で変わりますが、

 

基本的に躁うつの期間は短く、

 

抑うつはその倍くらいです。

 

 

抑うつは年々長くなっていると感じます。

 

記憶が曖昧なため

 

詳しくは覚えていないですが、

 

今回は2年弱引きこもっていました。

 

 

 

 

 

*現在の状態は?

 

 

 

現在は浮上中といったところです。

 

抑うつから躁うつに変わる移行期

 

とでも言いましょうか。

 

 

気持ちが上向きの状態のときのほうが多くなり、

 

ウォーキングしたり

 

筋トレしたり

 

部屋を掃除したり

 

ご飯を作ったり

 

身の回りのことが少しずつできるようになりました。

 

 

全てを完璧にはできませんが

 

「今日は洗濯ができた。」

 

など、ひとつずつクリアしていって

 

無理なく続けていくことを目標に

 

生きています。

 

 

 

 

 

*いつ症状を自覚したか

 

 

高校の頃からうっすらと感じていました。

 

私は看護師の専門学校に通っていたことがあるのですが、

 

教科書を読んだときに

 

これ、私のことだ!

 

と思い、はっきり自覚しました。

 

 

ただ私は学生の頃、

 

抑うつ状態だけが病気で、

 

躁うつのときの自分が本当の自分

 

だと思っていたことがあって、

 

抑うつ状態の自分を極端に嫌っていました。

 

 

 

 

 

 

*経歴について

 

 

 

・高校卒業後、看護専門学校に入学

 

・2年次に中退

 

・フリーター

 

・病院で看護助手(もう一度看護師を目指す)

 

看護専門学校入学とほぼ同時に中退

 

・新築やマンションのキズ補修

 

 

 

 

 

*これらに抑うつと躁うつの変遷を重ねると

 

 

 

・高校卒業後、看護専門学校に入学

 

[抑うつ→躁うつを繰り返す]

 

抑うつ状態で入学し、

 

躁うつ、抑うつを繰り返しながら

 

なんとか踏ん張るが

 

2年生後期の躁うつが度を超えてしまい、留年。

 

(家出して学校に迷惑をかけたため、

 

もういちど2年生の全授業受けなおす

 

という条件で復学させてもらいました)

 

 

・2年次(2回目)に中退

 

 

 

[躁うつ→抑うつ]

 

後輩だった子達と受ける授業。

 

2回目なのに抑うつのときの記憶が曖昧なため、

 

再試を受けたりして

 

なんとかもぎ取ってきた単位の授業について行けず、

 

新設校だったので、

 

先生が変更になっていて過去問が使えず。

 

 

単位を落として一緒に留年した子は、

 

全授業受け直しではないので、

 

なかなか学校に来ず。

 

 

お昼には元のクラスに行って

 

友達(このときは先輩)とご飯食べるので

 

クラスに友達ができない。

 

 

疎外感となんだか頭がボーッとする。

 

自分の存在が恥ずかしい。

 

 

といった状態になり、

 

だんだん抑うつになっていきました。

 

学校を親に無断でサボるようになり

 

やがて行けなくなりました。

 

学校のカウンセラーにも通いましたが、

 

状態は改善しないので、中退しました。

 

 

・フリーター

 

[抑うつ→躁うつ]

 

抑うつ状態で職業訓練所のようなところに通いましたが、

 

嫌で嫌でどうしようもなくなり逃亡。

 

実家から無断で逃げてしまったため

 

お金もなく生きるために

 

結局派遣でバイトします。

 

そのうち躁うつになり、

 

ハイテンションで散財し始めます。

 

家賃も払えなくなり、追い出されます。

 

ホームレスなので、

 

ビニールシートの中で眠った日もありました。

 

そして友達の実家にお世話になります。

 

実家と連絡を取り、和解します。

 

 

 

・病院で看護助手(もう一度看護師を目指す)

 

[躁うつ→抑うつを2回]

 

看護学校を中退してしまったことを

 

ずっと後悔していたので、

 

契約社員で働きはじめます。

 

うつ状態で働きはじめましたが、

 

だんだん抑うつになりました。

 

1回目の抑うつは乗り切れましたが、

 

2回目の躁うつ状態で受けた学校が受かり、

 

入学したころに2回目の抑うつが現れます。

 

 

看護専門学校入学とほぼ同時に中退

 

[抑うつ]

 

学校と同時に病院にも行けなくなり

 

家に引きこもりました。

 

 

・新築やマンションのキズ補修

 

[抑うつ→躁うつを2回]

 

長い間引きこもりました。

 

そのうち月1で母と外食することで

 

気分が浮上し始め(躁うつ)

 

キズ補修のお仕事をします。

 

最初は簡単な事務処理から始めて

 

だんだん日数を増やし、

 

キズ補修の技術も身につけて

 

現場に出るようになりました。

 

そのうちまた抑うつになりました。

 

なんとか耐え、2回目の躁うつ。

 

そして2回目の抑うつに耐えきれず

 

仕事を辞めました。

 

 

そして2年ほど引きこもり、

 

現在に至ります。

 

 

 

 

 

*2度目の抑うつで耐えられない理由

 

 

1度目の躁うつのときに初対面だとすると、

 

仲良くなってもそれなりで

 

1度目の抑うつがきます。

 

 

2度目の躁うつでは

 

1度目の躁うつのときの延長線だと思っているので、

 

(抑うつのときは記憶が曖昧なため、一回死んで生き返ったみたいになります)

 

 

やっと再会できた!

 

 

という気持ちになり、異常に執着します。

 

頻繁に遊んだり、とてもよく話します。

 

そういうわけでやたら距離を詰めていき、

 

2度目の抑うつによって

 

そのキャラを保つことに耐えきれない、

 

性格が変わり、容姿が変わっていったときに嫌われたくない。

 

といった影響が大きいのではないかと

 

私は考えています。

 

 

 

 

抑うつから脱却する

 

 

私の場合は、母の助力によるものがとても大きいです。

 

今回は家の大掃除を強行突破してくれたおかげで

 

部屋を綺麗に保たなくちゃ。

 

という意識になり、

 

自分から収納を整理したり、

 

自分にとって心地よい環境を整えることが

 

少しずつできるようになってきました。

 

前のひどい抑うつのときも月1で食事に連れて行ってくれたことが

 

少しずつ精神的に浮上するきっかけになっていたんじゃないか。

 

と思います。

 

 

 

 

 

抑うつや躁うつを軽減する

 

 

今までは、

 

躁うつのときは

 

いつ抑うつになってしまうのか

 

まるで爆弾を抱えながら

 

生きているような毎日を送り

 

抑うつのときは

 

なんでこんな自分が生きているのか

 

躁うつのときにした横柄な態度やずうずうしさに

後悔し、

 

ただ息をして隠れながら

 

時間が無駄に浪費し過ぎていく毎日

 

 

といった感じでしたが、

 

今後はちゃんとした医療機関に相談し

 

また、いつ抑うつや躁うつになってもいいように

 

どちらの状態になってもフォローできる

 

生活を送りたいと思っています。

 

 

具体的には、

 

どちらの状態になっても生活習慣が乱れがちになるので、

 

 

・食物繊維の豊富な食べ物を食べる

・適度な運動

・しっかり睡眠をとること

 

 

最近少しずつ痩せているのを感じるので、

 

あたりまえのことかもしれませんが、

 

続けることを目標にしています。

 

毎日快便だし、肌ももっちりしてきました。

 

 

 

多少落ち込んでも

 

身体に良いもの食べてるから

 

ちゃんと快便だし

 

わりといい日だったんじゃないか。

 

 

と言い訳もきくので、実践し続けたいと思います。

 

 

できない日があっても、

 

まぁこんな日も必要なんだな、自分には。

 

と思うようにしています。

 

 

 

 

 

*最後に

 

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

 

自分なりにまとめてから

 

何度も書き直したりして

 

試行錯誤を繰り返したのですが、

 

なかなか難しいです。

 

 

怠惰で人間のクズみたいな私ですが

 

恥ずかしくて、恥ずかしくて

 

生まれてこなければよかったと

 

思ってしまうこともあります。

 

 

本当に親には申し訳ないです。

 

また、散々巻き込んでいる友人にも

 

許されなくても謝りたいです。

 

 

こんな私でも生かしてもらっているので、

 

自分ができるときに

 

誰かになにかを

 

少しずつ、少しずつ

 

返せていけたらいいなと思っております。

 

 

あまり参考にはならないですが

 

これが私の人生です。

 

 

なにか少しでも思うことや感じる部分があれば

 

いい意味でも悪い意味でも

 

嬉しく思います。